写真を見返していて吉原治良の写真が沢山出てきた。
吉原治良は作品の表現を追求する中で、晩年に円に辿り着いたと言うのをどっかの展示のキャプションか何かでみた。確か中之島だった気がする。。

吉原治良が円を通して表現を追求したように
僕も円や球体にとても心惹かれる事が多々ある。

気がつけば円形のものや丸い何かを提案してしまう。
それは説明できる理由があるからではなく何となく
どの空間にもおさまってしまうような感じがしている。
丸い物を使うことで自然と人の間みたいな物をを探しているのかもしれない。

それと同時に、庭の表現そのものが、自然のスケールや時間に比べればとても ちっぽけ だという感覚も常にあり表現という表現がろくに出来ない自分もいる。

ひたむきに良いものを作り続ければ、盲目になれて幸せになれるのかもしれない。ひたむきさは人を動かす力を持っているし、きっと時代と交われる瞬間もあると思う。

でも、良いものを作るという行為は、技術やセンスや時代性のどれか一つだけでは成り立たないとも思う。
どれも重要だが、どれか一つを突き詰めるだけでは、やはり何かが欠けてしまう。

一つ一つ平均的に積み重ねていくことだけが偏りを避け、交わらないことが時代と関わり続けれる唯一の方法だと思っている。
今はこの感覚を大切にしたい。

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